益子町歴史探訪

      2016/08/09

益子の魅力発信中です。

七井地区

益子町の中心街から北方向に位置する七井地区の歴史を訪ねに行って来ました。

七井城跡

最初に、七井城跡に向かいます、七井地区の中心街に位置する平城跡になりますので、開発の波に飲み込まれて、ほとんど遺構は残りませんが、民有地の裏庭に綺麗に下草刈りをしてある、土塁が有ります。

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民有地の遺構

スーパーマーケットベイシアのすぐそばの、正面に見える大きな木がある、豪邸の裏庭に土塁を発見しました。

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守って頂いて大変ありがたいですね、地主に声をかけずに、道路から撮影しました。(敷地内には進入していません)

七井小学校も跡地

七井小学校も、郭内であったようですが、当然遺構は見つかりません、むやみに敷地には入れませんからね。

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国道123(294供用)号が最東端のようです。

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画像右が小学校の建物の一部で、森の左が国道123(294供用)号です。

資料
益子勝宗が天正4年(1576)七井城を築いて五男勝忠を城主にしたという
天正12年、勝忠は宇都宮国綱に叛き尾羽寺で毒殺され、その子の忠兼は天正14年、茂木山城守と新福寺に戦って敗れ討死。
そして天正17年(1589)、益子家宗が宇都宮軍の総攻撃を受け、家宗は討死、益子氏は滅亡、その時、この七井城も廃城となった。

矢島城跡

次は、矢島城址へ行きました、七井城跡から北に直線で数百メートルに位置する、日枝神社が矢島城跡になります。

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神社ですから、誰にも憚る事も無く、見学出来るのは良いのですが、遺構は発見出来ませんでした。

資料
この城は、七井城が存在する以前から存在していたといそうです
七井城築城後はその支城であり、七井氏の一族が城主であったらしい
七井の名の由来となった7つの井戸のうちのいくつかが残されていると言われるがこれは解りません。

石下城跡

源治神社の駐車場

次は、益子町芦沼の石下城址いしおろしと読むそうです、源治神社駐車場のお借りして駐輪しました。

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夏は藪多し

この山に城跡が有りますが、今回は登りません昨年登りましたが、夏場は草が生い茂り、歩行困難になります、冬登るべきかと思います。

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源治神社の入り口です、駐車場側から撮影しました。

 

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国道側から撮影しました、何ともいえない良い形の山でしょう。

資料

市貝町と益子町の境にある標高170mの山にあります、南側の国道123号線が通る平地からの比高は70m

小宅古墳

鶴岡八幡宮

最後は、益子町小宅の小宅古墳に寄ります、国道123(294供用)号沿いの鶴岡八幡宮の敷地のすぐとなりにあります。

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駐在所目の前ですから、入り口は解りやすいですね。

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古墳の案内板は、豪勢な御影石製です。

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神社の駐車場利用可能

参道の階段の最上部で記念撮影しました、車やバイクでこの場所まで来ることが出来ます、駐車場も整備されています。

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NO14の案内板の前で撮影しました。

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NO15の案内板が遠くに見えます、菜の花の咲く頃や桜の咲く頃に来たらも良いですがね。

この内の何本かは、四季桜ですから、秋口に再訪して紹介します。

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