妙伝寺(みょうでんじ)「栃木県益子町」

栃木県芳賀郡益子町山本の、妙伝寺浄土真宗本願寺派の紹介です。

妙伝寺

益子町の南東部に山本地区があり、栃木県真岡市から茨城県桜川市に通じる、栃木県道257号沿いに立地します。

山門

1909年2月に起工し、1910年4月7日に落成するまで、1年以上の日々を費やし、総欅造でこの型の山門は関東では、大変珍しいといわれています。
益子町の有形文化財に指定されています。

益子町妙伝寺山門

益子町妙伝寺山門

手間が掛かっているのが、わかる彫り物が、沢山見て取れました。

益子町妙伝寺山門(下方から)

益子町妙伝寺山門(下方から)

鐘楼

山門を潜り、境内に出ると左側に鐘楼が、ありました。

益子町妙伝寺鐘楼

益子町妙伝寺鐘楼

そして本堂前にさしかかると、ご婦人が境内の掃除をしていました、ご挨拶して見学の旨を伝えると、本堂内に益子町の文化財に指定されている、襖(ふすま)があるので、「見ていきませんか?」とのことでしたので、お言葉に甘えて、本堂に上がらせて頂きました。そのから、会話のなかで凄く品があり、地元の方と明らかに違う、イントネーション(地元訛りがが有りません)住職の奥方でした。この鐘楼は、先の東日本大震災の際に、被害を受けましたが、修復したそうです。

妙伝寺かっぱ伝説

境内の案内板にかっぱ伝説の記載がありました。

妙伝寺かっぱ伝説案内板

妙伝寺かっぱ伝説案内板

 

本堂

益子町妙伝寺本堂

益子町妙伝寺本堂

本堂は、震災被害はなかったそうです、震災前に耐震補強並びに、基礎石の改修をしてあったためだそうです。画像の両端が、引き戸から壁構造に、変更されたとのことです。

彫刻欄間

本堂の欄間には、立派な彫り物がずらりと、設置されていました。

本堂正面の彫刻欄間

本堂正面の彫刻欄間

左側の彫刻欄間です。

益子町妙伝寺欄間左

益子町妙伝寺欄間左

右側の彫刻欄間です。

襖絵

本堂の襖に描かれた作品で、画家安達三楽斎元善が描いたという、ほど近い場所にある、松本地区の三宮神社の歌舞伎を催す際に、神社の襖を描きに来た、画家安達三楽斎元善に、妙伝寺を宿泊所に提供したそうです。そのお礼に描いたと言い伝えられているそうです。表側に松に鳳凰、裏側に竹と梅がそれぞれ力強く描かれています。住職の奥方への取材より。

下の画像は、表左側の襖絵です。

妙伝寺左側の襖表側

妙伝寺左側の襖表側

下の画像は、表右側の襖絵です。

妙伝寺襖右側表

妙伝寺襖右側表

下の画像は、裏右側の襖絵です。

妙伝寺右側の襖裏側

妙伝寺右側の襖裏側

下の画像は、裏左側の襖絵です。

妙伝寺左側の襖裏側

妙伝寺左側の襖裏側

雅楽

雅楽器が、保管されていました、奉納日/正月会1月1日、降誕会5月20日、報恩講12月11日、12日 明治20年頃に、妙伝寺第3世住職天慶法師が兵庫県神戸市より伝えたそうです。
演奏者は現在で7代目となり、平成17年より後継者の育成に努めているそうです。
報恩講などの法要の開始時及び終わりに演奏するそうです。その他に結婚式や葬儀、学校祭や地域の行事などにも依頼があれば演奏するそうです。今年も11月に公民館と中学校で演奏するそうです。演目は越天楽、五常楽、皇じょう急などです。楽人は各自白衣の上に水色地の切り袴をはき、その上に狩衣をまといます。頭には立烏帽子をかぶり、足には白足袋をはくそうです。住職の奥方への取材より。

雅楽器の一部

雅楽器の一部

保管用の布をめくって見せて頂きました、この他にも数点の雅楽器がありました。

妙伝寺データ

所在地 栃木県芳賀郡益子町山本724
電話 0825-72-3384
称号 妙伝寺
宗派 浄土真宗本願寺派
益子町指定文化財 妙伝寺山門
益子町指定文化財 妙伝寺襖絵
益子町指定文化財 妙伝寺雅楽
駐車場 あり

あとがき

最後に住所と名前を名乗り(僕の父親をご存じでした)、暇乞いをすると、奥方様がこのまま帰らないでくださいとの一言に「ドキッ」拝観料の請求?「此処に座ってわんちゃんと共に手を合わせてください」とのこと、そうですよね、そのまま帰ったら、非常にいけないことです。
ネットに紹介する旨を伝えると、宗派も記載するようにと念を押されました。

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