千渡城跡(寶性寺)「栃木県鹿沼市」

栃木県鹿沼市千渡の千渡城跡(せんどじょうあと)と真言宗寶性寺(ほうしょうじ)の紹介です。

千渡城跡(せんどじょうあと)寶性寺(ほうしょうじ)

鹿沼市は、栃木県の西部にあり、県都宇都宮市の西側に立地します。

寶生寺本堂

高野山真言宗、八ッ寺山寶生寺

千渡城跡、寶生寺本堂

千渡城跡、寶生寺本堂

寶生寺山門

千渡城跡、寶生寺山門

千渡城跡、寶生寺山門

寶性石碑

 

千渡城跡(寶生寺石碑)

千渡城跡(寶生寺石碑)

千渡城跡(寶生寺)堀と土塁

千渡城跡(寶生寺)堀と土塁

 

室町末期宇都宮氏方宇賀神氏の城

千渡地区は、沼市街地の北東にあり、室町時代末期、宇都宮氏を離れ北条氏に付いた鹿沼城の壬生氏に対抗するため、宇都宮国綱が西暦1573~1591(天正年間)に築いた城といわれています。

この城は120m四方ほどの方形の居館のような位置づけかと思われます。(平城で戦のは不向きです)

遺構は寶生寺の境内の周囲に堀がほぼ1周していて、土塁が堀の西側と南側に残っていまます。

土塁は曲輪から1.5m程度、堀の深さは3m位で、堀幅は4m~5mはゆうにありました。
山門の位置が本来の大手門に当たつとのことでした。

宇都宮氏家臣、宇賀神氏が鹿沼の壬生氏に対峙する為に、築城しましたが、この城も西暦1597(慶長2年)宇都宮氏改易に伴い廃城となりました。

寶生寺データ

所在地 栃木県鹿沼市千渡355-1
電話 0289-64-5761
称号 八ッ寺山寶生寺
宗派 高野山真言宗
駐車場 あり

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