下館城跡と水谷家歴代の墓(定林寺)「茨城県筑西市」

   

台風のせいなのか、湿度があり厳しい暑さの毎日ですが、今日も懲りずにスクータdioで、茨城県筑西市(旧下館市)まで行って来ました。

定林寺

水谷家歴代(みずのやけ)の墓がある定林寺に向かいました、小貝川堤防を走行して県境まで出て、五行川堤防まで行き西進して五行川堤防を南下して、下館二高付近まで来ました、高校の通り沿いにある定林寺到着しました。

1478年に水谷勝氏が下館領主になり下館城を築城、1481年に水谷家歴代の菩提寺として庇護され水谷家からは、寺領150石の寄進や堂宇の造営などが行われ、1528年に下館城内、に下館藩2代藩主水野勝隆の命で現在地に移りました。1880年に火災により多くの堂宇、寺宝、記録などが焼失しましたが、1567年に水谷勝俊が寄進した銅鐘(室町時代作、乳数4段4例、総高89cm、直径49cm)が残り1963年に茨城県指定重要文化財に指定されました。

定林寺山門

定林寺山門

定林寺山門

左手に車両用の通路がありますから、スクーターで境内の駐車場に侵入しました、境内には、3名の僧侶が居ましたので、見学の挨拶をしました、「ポケモンですかぁ?」と僧侶が申しておりましたが、純粋に見学の旨を伝えましたが、ポケモン利用者には、迷惑しているようです。

茨城県指定文化財銅鐘

 

茨城県指定文化財銅鐘

茨城県指定文化財銅鐘

茨城県指定文化財の、銅鐘がまず最初にお出迎えです。

本堂

定林寺本堂

定林寺本堂

定林寺本堂、立派ですね。

水野谷家の歴代の墓

水野谷家の歴代の墓

水野谷家の歴代の墓

本堂の西側を奥に進み、本堂の裏手に、水野谷家の歴代の墓があります。

下館城跡

つぎは、下館城跡に移動します、500メートルほど南下すると、下館小学校がありすぐ裏手です。

 

下館城跡道路沿いの案内板

下館城跡道路沿いの案内板

平地の性です、残念ながら市街化に伴い城の遺構はほとんど残っていません。

下館城は藤原秀郷により築かれた下館城がベースという説がありますが、戦国期には水谷氏によって拡張整備され、現在の城址含む下館の城下町の基礎が造られました、藤原秀郷により築かれた下館城が水谷蟠龍斎政村の時代に整備された下館城と一致するのかは不明が有力説です、本丸は城山八幡神社と下館小学校のあたりで、五行川を望む崖は急であり、八幡神社と下館小学校間の五行川に下りる道は小口(虎口)のようです。

五行川が自然の水堀でありました。

 

下館城と小学校の間の道路

下館城と小学校の間の道路

上の画像は小口(虎口)右側に本来の土塁があったはずですが、草が生い茂り確認出来ませんでした。

因みに、一般的に小口(こぐち)を虎口(こぐち)と言っていますが、戦乱が終結する頃に虎口(わりと大きな門)ですが、戦乱の世には小口(攻め入れないための狭い門)からその名だけが残り小口(こぐち)虎口(こぐち)となったそれが、有力な説だと僕は信じています。

下館城跡八幡神社

下館城跡八幡神社

本丸跡には、筑西市指定文化財の八幡神社の社殿が建立されていました、文化財にしては、貧弱な建造物と思いましたが、脇に移動して解りました。

筑西市指定文化財八幡神社

筑西市指定文化財八幡神社

囲われていました、しかし隙間から撮影するもうまく写りません。

 

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