田中正造公の隠居所「栃木県佐野市」

   

田中正造公の旧宅の隠居所を訪ねましたので、紹介します。

田中正造公

田中正造公は、西暦1841年11月3日に栃木県佐野市小中町(旧旗川村)で、旗本六角家の当主である富蔵、サキ夫妻の長男として生まれました。

当主になった正造は、不正をはたらく領主と対立することの苦難を乗り越えまして、自由民権運動家として、また栃木県議会の指導者となってゆきました。

第1回総選挙で衆議院議員に当選しました、そのころ農作物や魚に大きな被害を与えていた足尾銅山の鉱毒問題を繰り返し国会でとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救うため努力しました。

しかし国の政策に改善が見られないままでしたが、西暦1901年12月10日、天皇に直訴しました。
その後、鉱毒事件は社会問題にまで広まりましたが、解決せず正造は悲痛なおもいで谷中村に住みました、治水の名のもとに滅亡に追い込まれようとした谷中村を救おうと、農民とともに村の貯水池化に反対し再建に取り組みましたが、西暦1913年9月4日に71歳10か月で他界しました。

田中正造公隠居所

明治初期に、母屋に医師を招いて、村の診療所にしました。両親の老後をゆったりと暮らして欲しくて建てたといわれています。

田中正造公隠居所

田中正造公隠居所

一階が間口、奥行き共に4間半で二階は間口奥行き共に4間の瓦葺きです。

土間には、車井戸があったと思われる、滑車が梁にに残っています。

政治活動に没頭していた正造公は、家には帰らないので、カツ夫人は正造公の両親と留守を守っていました。正造夫妻は子供に恵まれなかったので親戚から養子を迎えたそうです。

正造公から小中村に寄贈された隠居所は、幾度もの修理を繰り返し、地区の方に活用されてきました、佐野縮みが盛んな頃は、織物の検査場として使用されました。戦後佐野市の公民館第一号となり、地域の発展に貢献しました。

田中正造公墓所

道路を挟んだ、向かい側には、正造公の墓所があり、駐車場とトイレが設置してあります。

田中正造公の墓所

田中正造公の墓所

田中正造公隠居所データ

所在地栃木県佐野市小中町975
電話0283-24-5130
公開日時毎週火・木・土・日曜日 午前10時~午後4時
休館日毎週月・水・金曜日
(ゴールデンウイークの祝日は公開)
お盆(8月13日~16日)
年末年始(12月26日~1月4日)
個人一般 300円
団体(20人以上) 200円
障害者及び小中学生、高校生 無料
駐車場あり
トイレあり

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