高椅神社(たかはし)「栃木県小山市」

栃木県小山市高椅(たかはし)の高椅神社の紹介です。

高椅神社

小山市高椅地区の県道35号沿い、高椅神社前交差点に鎮座します。

由緒

高椅神社の創建は、西暦111年(景行天皇41年)に日本武尊が東夷東征の折、国常立尊、天鏡尊、天萬尊の三柱を勧請し戦勝祈願を行ったのが始まりと伝えられています。
伝承によると日本武尊に従って遠征してきた磐鹿六雁命は老齢の為、許しを得て当地に留まり、その後裔が高橋姓を称する豪族になったとされました。
西暦684年(天武天皇の12年)に高橋朝臣が社殿を造営、高橋氏の祖神とされる磐鹿六雁命(第8代孝元天皇皇子の大彦命の孫)を勧請合祀して高椅神社と改称したと言われています。
西暦927年(延長5年)延喜式神名帳に記載された式内社1つとして古くから信仰されて、特に中世以降は領主結城家の崇敬社となり、代々社領の寄進や社殿の造営、改修を行うなど庇護され、西暦1193年(建久4年)に社殿が朽ちると結城朝光により大改修が行われました。
西暦1585年(天正13年)には、結城晴朝が社殿を改築しています。
しかし、西暦1441年(永享13年)の結城合戦の戦火により社殿が焼失しまたその際、多くの記録、社宝等も失った為、これ以前の詳細は不詳との事です。
西暦1600年(慶長5年)に結城秀康(徳川家康の次男、結城家の養子)が越前福井藩に移封後も代々例祭には代参を派遣し明治維新まで続けられました。
古くから神仏習合し高橋明神と称していました、明治時代初頭に発令された神仏分離令により神社となり西暦1872年(明治5年)に郷社、西暦1877年(明治10年)に県社に列しました。

拝殿

高椅神社拝殿小山市

高椅神社拝殿小山市

神楽殿

高椅神社神楽殿小山市

高椅神社神楽殿小山市

工事中の楼門

一番の見所の楼門が修復工事中でした、残念ですが綺麗に生まれ変わった時に再訪問のしたいと思います。

高椅神社修復工事中の楼門小山市

高椅神社修復工事中の楼門小山市

現在の楼門は、西暦1770年(明和7年)結城城主水野氏が寄進したものだそうです。
三間一戸、入母屋造り、銅板葺き(旧茅葺)で屋根の前後を唐破風にするなど格式の高い形式をもっています。
高椅神社楼門は細部に施されている精巧な彫刻や建物全体が極彩色に彩られているなど見所が多く西暦1995年(平成7年)に栃木県指定重要文化財に指定されています。

高椅神社データ

所在地 栃木県小山市高椅702
称号 高椅神社
栃木県指定文化財 高椅神社楼門
駐車場 あり

あとがき

楼門修復工事が完成した頃、再訪問して追加投稿したいと思います。

スポンサーリンク
歴史探訪
スポンサーリンク
Feedly
follow
シェアする
 スポンサー リンク



ハイエース手作りキャンピングカーで日本一周
//自動広告 //手動広告