栃木県佐野市犬伏の新町薬師堂、真田昌幸・信幸(信之)・信繁(幸村)父子の別れの地を紹介します。
新町薬師堂
栃木県佐野市の、中心市街地の東部にあり、栃木県道270号沿いに立地します。
台元寺訪問の際に、住職に教えて頂いた新町薬師堂を訪れました。
ボランティアの方が、案内してくれました。現本堂は、昭和になってからの建物だそうです。夢をつぶすようですが、本当にここが、別れの地であるかは、定かではないとのことでした。
犬伏の別れとは
西暦1600年、関ヶ原の合戦を控え、7月31日に、上杉会津討伐のため徳川軍に就いて向いました。
真田昌幸・信幸(信之)・信繁(幸村)父子は下野国犬伏(現栃木県佐野市犬伏)に到着しました。
そこで陣を張っていた父子に、石田三成から密書が届き豊臣方に味方するようにの旨が、書されていました。
この書状を受けて父子で話し合い、いずれの勝利でも真田家が存続できるように、信幸(信之)が徳川方へ、昌幸と信繁(幸村)が豊臣方に分かれて戦うことを決断しました。
その話し合いをした場所が、新町薬師堂だとされています。
姻戚関係
真田幸村と石田三成は姻戚関係にあり、信繁(幸村)は、石田三成の親友である大谷吉継と姻戚関係ありました。信幸(信之)は、徳川家康の重臣本田忠勝と姻戚関係にありました。
このことから、父昌幸と弟信繁(幸村)が豊臣方へ、兄信幸(信之)が徳川方へ、と分かれたと言うことです。
新町薬師堂データ
所在地 | 栃木県佐野市犬伏新町2060-2 |
称号 | 新町薬師堂 |
電話 | 0283-27-3011 佐野市観光立市推進課 |
駐車場 | あり |
仮設トイレ | あり |