栃木県鹿沼市北半田の、医王寺(いおうじ)の紹介です。
医王寺(いおうじ)
鹿沼市南部の、国道293号磯町交差点から県道307号にて西進、約1kmに立地します。
由緒
敏達天皇の勅願により聖徳太子が自ら薬師如来を造立して伽藍を整えられ、西暦809年(大同4年)に、弘法大師空海(西暦774年~835年)が東国を巡錫した際に、自らの御影像や不動明王などを納めて鎮護国家の道場とし、西暦810年~824年(弘仁1年~天長1年)、高野山の開創によって当地を「東高野山」と呼ぶようになったと言われています。
日光開山の勝道上人(西暦735年~817年)が夢の告にしたがい、山中より薬師如来を発見し堂閣を建立して尊像を安置したとも言われています。
医王寺の創建については、明らかではありませんが、講堂の秘仏本尊薬師如来坐像が、平安時代後期の作と推定されることから、遅くともこの頃までには寺院としての体裁を整えていたものと考えられます。
鎌倉時代の、西暦1325年(正中2年)に、西方遠江守烏丸貞泰が堂宇の再建に尽力したと伝えられていますが、近年は、京都・畿内で活動し仏教信仰も厚かった宇都宮氏が、鎌倉時代における医王寺の造営事業を支援した可能性もあるそうです。
中世以降は、地方における仏教修学の道場としての機能を有していたそうです。
西暦1902年(明治35年)の足尾台風により仁王門・金剛力士像が倒壊するなど、堂宇の荒廃が進みましたが、昭和50年代から栃木県や旧粟野町、鹿沼市、檀信徒のご協力により建造物と仏像彫刻の保存修理が順次行われ、伽藍が整備されたそうです。
仁王門
1992年(平成4年)に再建された仁王門です。
栃木県指定有形文化財の金剛力士像は、鎌倉時代の作です。
木造、古色です。
金堂
栃木県指定有形文化財の金堂は、西暦1698年~1707年(元禄11年~宝永4年)に建立されました。
桁行五間、梁間五間、正面に一間の向拝を設けた寄棟造です。
弘法大師堂
栃木県指定有形文化財の弘法大師堂は、西暦1686年(貞享3年)に建立されました。
桁行三間、梁間三間、正面に一間の向拝を設けた入母屋造です。
唐門
栃木県指定有形文化財の唐門は、西暦1753年(宝暦3年)に建立されました。
四脚門、入母屋造です。
地蔵堂
赤門
西暦1737年(元文2年)建立されました。
客殿
栃木県指定有形文化財の客殿は、西暦1688年(貞享5年)に建立されました。
桁行十四間、梁間五間、寄棟造です。
講堂
栃木県指定有形文化財の講堂は、西暦1645年~1692年(正保2年~元禄5年)に建立されました。
桁行十二間、梁間七間、寄棟造です。
これだけの文化財で有りながら、無料拝観できました、素晴らしい事です。
医王寺データ
所在地 | 栃木県鹿沼市北半田1250 |
電話 | 0289-75-2399 |
称号 | 東高野山弥勒院 医王寺 |
宗派 | 真言宗 |
駐車場 | あり |