大谷津城址(おおやつ)「栃木県市貝町」

   

栃木県芳賀郡市貝町の、大谷津(おおやつ)城址の紹介です。

大谷津城址

大谷津地区は、市貝町役場から北に向かい、杉山地区の交差点から、栃木県道176号にて、約2kmのところに、大谷津城址の案内板があります。普段から通行するたびに気になっていましたので、訪れてみました。

市貝町は、栃木県東部の八溝山脈の自然あふれる、山と田園が広がる、サシバ(猛禽類)は、タカの仲間で、かつては馬糞タカなど言われ、非常に沢山いました。

春から夏にかけて日本に繁殖にやってくる渡り鳥です。体長は約50㎝で、翼を広げると110㎝ほどになり、カラスより少し小さい鳥です。この地域には、丘陵地の中にまるで毛細血管のように細長い水田(谷津田)が張り巡らされている。この谷津田は、森林に接する部分が多く、餌となる小動物が多いことから、サシバにとって絶好の生息地になっています。市貝町HPより

地区名にも由来しています。

 googleマップで見る限り、駐車場は見あたらいません、いつものようにスクーターで行けば、何処に置いても迷惑は、かかるまいと思い、行きました。
大谷津城祉案内板

大谷津城祉案内板

すると、乗用車一台が通れる広さの農家の門道でした。
そのまま突き進みましたが、生憎スクータでは無理でした、ふかふかの草道は、埋まってしまい進むことができません。何とかUターンをして、下りました。
ちょうど民家から出てきた、僕の親世代のご婦人がいまして、少し話しかけてみると、「城跡をみにきたのかい」とのことで、話をしているうちに「ここに置いて歩いて行きなさい」と言ってくださいました。

偶然にも城跡は、そのご婦人の家の私有地でした。町役場が入り口の案内板だけ建てても、城跡の中の案内板がなくては、何が何だかわからないと仰っていました。

「どうせ、行ったってわからないよ~」言われていましたが、見せて頂きますと告げて早速、大谷津城祉へ出発しました。(事前に城郭などの構成を調べてました)

大谷津城祉堀切

大谷津城祉堀切

ご婦人と、分かれて最初に現れたのが、この城跡最大の見所の、深い堀切でした。

堀の底を歩いて登ると、竹の葉が落ちていて滑り、歩きづらいです。これでは、攻めるのは大変だろうと、思いながら歩きました。逆に上から迎え撃ったら、滑り落ちて敵の餌食になりかねませんね。

堀切を何とか滑りながらも、登りきり、三の丸(三郭)跡まできました、通常三の丸などは、平らな広場が多いため例外なく、一部は開墾されて畑になっていました。

大谷津城三の丸(三郭)

大谷津城三の丸(三郭)

三の丸から未だに残る、堀を越え、藪と戦いながらなんとか、二の丸にたどり着きました。

大谷津城(二郭)

大谷津城(二郭)

藪との戦いを制して、いよいよ本丸(主郭)へと進みます。

大谷津城本丸(主郭)

大谷津城本丸(主郭)

竹が倒れていて、歩けませんがなんとか、撮影して達成感で満足しました。

倒れた竹は、踏んだら滑るは、持ち上げて通ろうとしても、持ち上がらない非常に苦労します。

そして、同じ経路で、帰りません、二の丸下には、池があると事前に調べておいたので行ってみることにしました。

大谷津城鏡池

大谷津城鏡池

この傾斜地の下あたりが、かつての池、鏡池があったははずですが、見あたりません、残念ですが城跡から降りました。

そして、スクータを停めさせて頂いた、ご婦人のところに戻ると、まだ作業中でしたが、ご挨拶してと思ったら、「わからなかったろ~}と話し掛けて頂きました。

少しだけわかりましたというと、ご婦人の独演になりました。嫁に来たときは、池にはまだ水が沢山あったとか、戦時中戦後は、サツマイモを現在の竹藪の中で、栽培したお話、それから千本城主に大谷津城主は攻め滅ぼされたお話、資料を読むよりご婦人のお話の方が、情報量が遙かに上だと思いました。こんな貴重な経験は、外に出ないと得られませんよね。

もっともっと、お話を伺いたかったのですが、ご婦人がリップサービスで引き留めているのか、単なるお話好きなのか、田舎気質で客人にしょうがなくてお付き合いしているのかは、定かでないので、長居は迷惑になりかねませんから、低調に暇乞いをして、退散しました。

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