先日、慈覚大師(円仁)生誕地の高平寺の別寺誕生時と修行した大慈寺の紹介をしました。
慈覚大師が修行をした大慈寺のある小野寺地区には、多くの功績を残した史跡があります。
しかし、時代の流れにより風化して、また土石にうまり悲惨な現状が目立ち始めたそうです。
慈覚大師と小野寺地区をこよなく愛する、須藤豊氏の功績を称えて、記事にしました。
小野寺地区の元住民で、現在の住まいは同市内ですが、現在進行で須藤豊氏が、資財を投じて慈覚大師の功績のある旧跡を復活、保護に努めています。複数回地元紙、下野新聞に紹介されている偉人です。
幸運にも、ご本人に直接取材できました、記事にすることと、実名、ご本人画像、添付資料の掲載許可を得ております。
慈覚大師(円仁)
栃木県栃木市岩舟町下津原の高平寺別院の誕生寺で、西暦794年(延喜13年)の秋にこの地で誕生しました。
栃木県栃木市岩舟町小野寺の大慈寺にて、9才より大慈寺で修業をはじめ、15才のときに比叡山に登り最澄様の弟子となります。
43才の時、天台宗の密教を完成しようという希望に燃えて唐へとわたりました。
須藤豊氏の保護する慈覚大師旧跡
栃木市街地から佐野方面に向かう県道75号に須藤氏が立てた案内板があり、東北自動車道の下をくぐり砂利採石工場をぬけて小野寺地区の山間部へと抜ける長い道を進みます。集落の奥にスクールバスの旋回場があり、その先に須藤氏の立てた案内板があります。(空き地に停めさせて頂き徒歩で訪れました)
案内板は、車両通行止めとなっています、多少の問題が有りその記載をしたが、乗ってきてもかまわないと言っておりましたが、軽自動車程度の車幅でないと危険です。砂利道の林道を歩きました。(メガソーラー発電設備があります、工事中は道を貸したと仰っていました)
腰掛石
途中に慈覚大師が、村を周りながら、この石の上で座禅を組んだ石だと須藤氏が仰っていました。(画像左上にはソーラーが見えます)
慈覚大師獨鈷水御堂(どくこ)
慈覚大師獨鈷水
獨鈷乃龍神桜
獨鈷乃霊水
獨鈷乃霊水で喉の渇きを充分に潤わせて頂き、持っていたお茶のペットボトルに詰めさせて頂きました。
この地の標高は、唐沢山城跡に鎮座する唐沢山神社と同じだそうです。
多羅葉樹(たらようじゅ)
多羅葉樹の葉樹は「はがき」とも読めると仰りながら、須藤氏直筆で、はがきの実演をして頂きました。
切手を貼れば「はがき」として郵便配達されると仰っておりました。また誕生日のケーキに手書き、メッセージを添えると粋な計らいだとか。
12年前に大慈寺の門の脇に親木の多羅葉樹があり、親指ぐらいの太さの、わき芽がが出ていたそうです、そのわき芽を米半俵を奉納して分けて頂いたそうです。
12年の歳月が過ぎてもこの大きさです。通常の紅葉樹でしたら、3倍から5倍ぐらいの大きさになっていると思います。
こんな事を記事にすると、多羅葉樹の葉っぱを採られて、少なくなりますねと言うと、楽しめれば良いじゃないですかとなんと太っ腹なかたでしょうか。
ミカンも最近収穫出来るようになったそうで、収穫時期にはまた来なさい欲しい文だけ分けてあげますよです。
最後に、他の旧跡の場所を教えて頂き、質問のをしました。出家なされて居るのですかと私は僧侶ではありません在家ですとのことでした。僧侶でなければ生き神様かと思いましたね。
作業中だった須津氏を一瞬は、声を掛けづらい方だと思いましたが、気軽に対応して頂いて感激しました。
真性院
こちらも、須藤氏の功績で現在の姿になりました。土砂に埋もれていたそうです。
小野小町の墓
村檜神社に参道入り口の東側に駐車場と案内板があります。
注連引き水(しめひきみず)
あとがき
資財を投じて、なかなか出来る事ではありません。せめて浄財だけでもとおもい奉納しました。
旧岩舟町時代に、保護の件で役場と交渉しましたが、財政難で予算は出なかったと仰っていました。
今年中に、再訪問して須藤豊氏と会話できる事を望みます。そして何時までもお元気で居てくださいね。