栃木県さくら市氏家の、さくら市ミュージアム荒井寛方記念館の紹介です。
さくら市ミュージアム荒井寛方記念館
さくら市は、栃木県の中東部にあり、都心から青森県まで貫く幹線国道4号が、通る街です。
さくら市ミュージアム荒井寛方記念館は旧氏家町の、勝山地区旧国道4号沿いに立地します。
勝山城跡の隣にあり、かつての城郭内に立地します。
館内には、栃木県塩谷郡氏家町(現在のさくら市)出身の近代の日本画家、荒井寛方(かんぽう)(西暦1878年~1945年)記念室や鋸展示室、考古・歴史展示室、美術・企画展示室があります。
また、公園化された敷地内には、勝山城跡や旧森家長屋門、旧板倉家板倉、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、縄文時代後期の敷石住居跡などがあります。
旧森家長屋門
長屋門は長屋中央に出入り口を設けたもので、両脇には物置や隠居屋、使用人屋などに利用されました。
本来武家屋敷の物でしたが、近世以降は、名主、組頭など村役人格に許されるようになりました。
この長屋門は、旧喜連川町鹿子畑から移築したもので、幕末頃の建造だと言われています。
旧板倉家板倉
板倉は、1~1尺5寸おきに角柱を立てその間に1尺5寸間隔で貫を通しその裏に板を貼ったもので古来倉と言えば当地では板倉でした。
現在、残っている2階建て板倉の多くは、明治期の商品経済が農村に普及してきた頃に建造され木材も上等品が使われました。
この板倉は明治10年の建造で大正時代に旧氏家町伝馬町にあったものです。
縄文時代後期の敷石住居跡
縄文時代後期の敷石住居跡(約4500年前)頃の敷石住居を考えられます。
川原石を柄鏡状(えかがみじょう)に並べて先端に石囲炉(いしかこい)を置いたとされています。
周りには小石が配されていて炉の近くから石棒が出土しました。
勝山城内から発見されましたその遺構を型取りして移築しました。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)を納めた供養塔で、石造りは鎌倉時代中期頃から造成されるようになりました。
金剛界の四方仏を陽刻し大型で安定感があり笠石の隅飾突起が直立するなど
鎌倉時代でも最古期の特徴を示しています。
さくら市ミュージアム荒井寛方記念館データ
所在地 | 栃木県さくら市氏家1297 |
電話 | 028-682-7123(さくら市ミュージアム) |
開館時間 | 9::00~17:00(さくら市ミュージアム)城跡は除外 |
休館日 | 月曜日(祝日は開館)第3火曜日 祝日の翌日(土曜日 日曜日を除く)(さくら市ミュージアム) 城跡は除外 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |
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