国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡「栃木県上三川町」

栃木県河内郡上三川町上神主の、国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡の紹介です。

国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡

北関東自動車道を跨いだ広大な遺跡、国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡は、上三川町と宇都宮市あり、上三川町の北部、宇都宮市南部のゴミ処理施設茂原パークのほど近い場所に立地します。
茂原パークから北関東自動車道路の側道を上三川インターチェンジ方面に向かい、約500メートルを南進して高速道路を潜ると遺跡に着きます。

国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡

案内地図

概要

この遺跡は、奈良時代頃の人名を刻んだ瓦が多く出土することから、長い間古代の寺院跡と考えられていました。
これは人名を刻んだ瓦が寺院建設の際の寄進物との考えがあったからでした。
そこで遺跡を共有する上三川町と宇都宮市では、実態解明のための発掘調査を実施することとなりました。
発掘調査は西暦1995年~2002年(平成7年~14年)の8年間に及びました。
結果、寺院跡ではなく、飛鳥時代後期の7世紀後半から平安時代前期の9世紀にかけて営まれた古代の役所(官衙)跡であることが明らかになりました。

栃木県は古代、下野国と呼ばれ、国内には9郡(足利・梁田・安蘇・都賀・寒川・河内・芳賀・塩屋・那須)がありました。
この遺跡は、このうちの河内郡に置かれた役所(郡衙)跡である可能性が高いと考えられています。

このようなことからこの遺跡は、西暦2003年(平成15年)8月に国史跡に指定されました。
現在、上三川町と宇都宮市では、遺跡の恒久的な保存に向けて、公有地化事業を進めるとともに、今後実施予定の整備事業に向けての発掘調査を実施しています。

国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡発掘調査

国指定史跡上神主・茂原官衙遺跡概要

官衙の規模と構造

発掘調査に依り、役所全体は堀と塀のようなもので囲まれていたことが解りました。
規模は、東西約250m・南北約390mと推定され、面積は約10haに及ぶ広大なものでした。
この内部からは、掘立柱建物跡を中心に竪穴建物跡・礎石瓦葺建物跡など、合わせて90棟を超える多数の建物跡が確認されました。

大規模な正倉(倉庫群)

政庁の南側には、50棟に及ぶ倉庫が規則正しく並べられ、当時租税として徴収された米(籾)などを保管する施設で、その大部分は高床式の建物構造をとっていました。
財政の象徴である正倉は、古代役所を最も良く特徴付ける建物群とされています。

この遺跡の正倉は建物の並びから、東西方向に整然と建物が並ぶ東正倉域、南北に建物が並ぶ西正倉域、正倉域の北西側に位置する北正倉域3群に分けられます。
特に東正倉域の中央には礎石瓦葺建物跡や長大な側柱式掘立柱建物跡が確認されるなど、正倉域の中心部分であったこと考えられます。
西暦2007年(平成19年)の発掘調査において、新たに大型の総柱式掘立柱建物が確認されたことからも裏付けられています。

役所の中心である政庁域

役所のほぼ中心からは、3棟の大型掘立柱建物からなる政庁が発見されました。
南面する正殿を中心に、東西に脇殿を配したもので、中央は広々とした庭となっていました。
郡内の行政の実務や様々な儀式などが、政庁で行われたものと考えられます。

政庁の南正面には円墳が位置しており、意識的な建物の配置をしていたこと考えられます。

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