栃木県芳賀郡市貝町の大慈山寿命院永徳寺下野観音十二番札所(村上城跡)の紹介です。
市貝町の真岡鉄道市塙駅から、田野辺地区方面に抜ける町道を、約2km北に向かうと。左手に村上城の大きな看板が見えます。梅の里そして梅林公園になっていまして、梅のオーナー制度で一定の金額を支払い、収穫をできる催しをしています。
大慈山寿命院永徳寺
永徳寺は、梅林公園の上部にあります、公園には駐車場があります、歩いて梅林の間の通路を上ってもいいのですが、スクーターで寺の駐車場まで行きました。
千手観音堂
千住観音堂は、市貝町の指定文化財です。創建は不明ですが、数回にわたって修復が行われたそうです、現在の堂宇は、領主千本大和守義貞によって修復されたそうです、正面欄間 の竜の彫刻など部分によっては古さをものがったっています。市貝町HPより
千手観音像
千手観音像は、栃木県指定文化財です。平安中期の作といわれています、像高は172センチメートル、肩幅43センチメートルの桧材の一本造りです。優しさあふれる穏やかな顔立ちです。市貝町HPより
大慈山寿命院永徳寺データ
所在地 | 栃木県芳賀郡市貝町市塙3501 |
電話 | 0285-68-1607 |
称号 | 大慈山寿命院永徳寺 下野観音十二番札所 |
宗派 | 真言宗 |
栃木県指定文化財 | 千手観音像 |
市貝町指定文化財 | 千手観音堂 |
駐車場 | あり |
屋外トイレ | あり |
村上城跡
一の堀
下草が、綺麗に刈り込まれた通路は、非常に歩き安いです。
本丸下の堀
本丸(主郭)の下まできました、本丸西側の堀は、かなり深くて本丸の土塁には、見上げただけで、もう十分です。
本丸(主郭)
本丸広場に到着です、城山権現と祭られていました。
村上城由緒
村上城は、永徳寺北側の観音山の山頂から南の斜面に掛けて築かれました、斜面を三本も走る土塁と堀は見事です。
城郭は斜面に築かれていますこのために、内部は若干の斜面になっています。
主郭は東西40メートル、南北は85メートルのほぼ三角形です周囲を土塁と堀で囲み,南東に階段がありますが、後につけられたもので、本来の小口(虎口)は南側でした。
益子正宗の次男、村上丹波守新助藤良により西暦1378年に築かれたと伝えられています、那須領の千本城に対する備えとして、北面には三重の堀と地形を生かした断崖は、北に対する防御の姿勢が強く伺えます。
村上氏は、家臣として三代にわたり居城して、益子氏が滅亡する西暦1589年ごろに廃城となったと伝えられています。