栃木県芳賀郡市貝町田野辺の、海福山慈眼寺(じげんじ)(田野辺城祉)の紹介です。
海福山慈眼寺(田野辺城祉)
栃木県芳賀郡市貝町の、北東部の田野辺地区は、茂木町千本地区との町境にあり、茂木町と市貝町を結ぶ、県道338号からほど近い農村部に立地します。
海福山慈眼寺は曹洞宗のお寺です、かつて室町時代には、田野辺城として、寺の一部と東側一帯が、城だったそうです。

海福山慈眼寺

慈眼寺山門と境内
寺の東側に行きましたが、残念ながら畑に開拓されて、遺構らしい遺構は見あたりません、寺と畑の境目にわずかに遺構らしい、土手の様な土塁のような堤が有りますが、定かではありません。
西暦1505年に千本美濃守が、千本城の出城として築城して、弟の三郎資重に任じて就かせたそうです。これは南に位置する宇都宮氏重臣の益子氏系の村上城に対する備えだったそうです。
その後、資重は田野辺氏を名乗るようになり、三代目の重之の時に、西暦1585年12月8日に千本城が落城したと同時に田野辺城も落城したと言われています。
慈眼寺は、資辰が建立した菩提寺と言われています。
慈眼寺データ
所在地 | 栃木県芳賀郡市貝町田野辺851 |
電話 | 0285-68-2630 |
称号 | 海福山慈眼寺 |
宗派 | 曹洞宗 |
駐車場 | あり |
周辺情報
大谷津城址(おおやつ)「栃木県市貝町」