栃木県那須烏山市の、稲積城跡(稲積神社)の紹介です。
稲積城跡(稲積神社)
那須烏山市の南東にあり、那珂川の東側の県道27号の西側の那珂川との間の集落に立地します。
案内地図
概要
築城は、西暦1108年(天仁2年)9月に、須藤下野守資道によると言われています。
那須氏の拠点となったのは、西暦1165年(永万1年)那須宗資が神田城より移った時からでした
宗資は平治の乱の時に源義朝に味方し敗れ、兄資房と甲斐、稲積庄に逃げ、後に許され帰国して神田城より本拠地をここに移し、亡命時代に信仰していた甲斐の稲積明神を城内に建てたました。
この稲積神社は代々那須家の崇敬を受け、那須氏が没落した後も烏山藩歴代藩主の保護を受けました。
宗資の跡を継いだ資隆は、大田原市(旧黒羽町)の高館城に移るが、西暦1417年(応永24年)に、沢村城の沢村五郎資重と福原城の兄資之との戦いに敗れ、沢村城を捨てて稲積に戻り、再度、拠点となりました。
以後、福原城の兄資之を上那須、稲積城の資重が下那須と呼び、抗争が繰り返されました。
資重はより堅固な烏山城に拠点を移しました。
この時に廃城となった訳ではなく、以後、烏山城の南を守る支城として存続していたようそうです。
稲積城の歴史は複雑ですが、平山城であり領内統治の政庁としての立地条件は良いが、その反面、攻撃を受けた場合の防御に問題があったことに要因があったと思われます。周囲の山から城内は丸見えであるのは問題です。
佐竹氏の攻撃を受けた時は、東の五峰山に陣取られ、城内に向けて矢を放ったと記録が残ります。
稲積神社石碑
画像奥の小高い林がかつての稲積城です。現在は、稲積神社が鎮座しています。
神社参道
稲積神社の参道、人が通れるだけの広さの参道は大変珍しいです。
神社拝殿
御神木
左の写真は稲積神社北端にある大岩です、御神体でもあり、物見台の役割が有ったようです。
木の葉が伸びれ見えずらいですが、大きな一枚岩です。
東側の土塁
稲積城跡(稲積神社)データ
所在地 | 栃木県那須烏山市下境 |
称号 | 稲積神社 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |