普門寺と田野城跡(田野陣屋跡)「栃木県益子町」

普門寺と田野城跡を紹介します、道の駅ましこ(現在工事中)からほど近い場所に立地しますから、道の駅オープン後、お立ち寄りをお勧めします。

工事中の道の駅と田野城跡

工事中の道の駅と田野城跡

 

工事中の道の駅から東方向に、鬱蒼と茂った森が残っております、そこが田野城跡とその北側に、普門寺があります。

普門寺

益子町普門寺境内と本堂

益子町普門寺境内と本堂

小学校高学年時に、先代住職に、無償で習字を指導して頂きました、大変お世話になった、和尚様と懐かしい本堂で、何故かこみ上げてくるものがありました。

五輪塔群

五輪塔群

昭和35年の災害で土砂崩れにあって荒廃して散在していたという、昭和47年に大郷戸廃寺跡の五輪塔群発見のおりに、五輪塔1基及び骨蔵器である瓶子を普門寺に移し供養しました。

普門寺データ

所在地 栃木県芳賀郡益子町上山53番地
電話 0285-72-2561
称号 普門寺
宗派 天台宗

田野城跡(後の田野陣屋跡)

益子町中心の南、県道41号線を岩瀬方向(現桜川市)と県道257号線と交差する長堤交差点付近交差点北西一帯が城址となっています。

入り口らしい入り口や、案内看板も有りません、愛犬は、草の実が付くので抱っこして、藪を突き進みました。

主郭手前の二郭の土塁を愛犬と、見つめているところです、藪はそれほど酷くはありません。

田野城跡主郭と二郭の土塁

田野城跡主郭と二郭の土塁

主郭まで土塁を乗り越えて、たどり着けました、平城の田野城は平らな主郭部分が、広くて良いのですが、民有地です蜜蜂と思われる巣箱が、無数に並んでおりました。

田野城跡データ

主郭 60m
高さ 3m
二郭 主郭の外側に10m
高さ 1m
深さ4m 幅8m
築城は永禄3年に羽石内蔵之介時政によると言われています、この羽石氏は結城氏の家臣だったそうです。
羽石盛長の代に結城晴朝に対して反乱を起こし、水谷蟠龍の攻撃を受け落城したそうです。

水谷蟠龍記では、天正13年のこと、これを田野城合戦といます、この時廃城になったということです。
江戸時代この地は旗本の松平氏の領地となり、田野城の本郭の地を利用して陣屋が延宝4年(1976年)に置かれて、明治維新まで使われたということです。

 

関連記事 大郷戸ダムと平地の南限リンゴ実る農園

 

スポンサーリンク
歴史探訪
スポンサーリンク
Feedly
follow
シェアする
 スポンサー リンク



ハイエース手作りキャンピングカーで日本一周
//自動広告 //手動広告