栃木県塩谷郡高根沢町の、山崎半蔵の墓を紹介します。
山崎半蔵の墓
高根沢町の東部にあり、県道10号那須烏山の境の交差点の西の路地を斜めに入り約100メートルに案内板があります。
案内地図
墓石
明暦二年と刻まれています。
偉人山崎半蔵
江戸時代に、現在の塩谷町から真岡市に流れる、「市の堀用水」を開削した人物として知られています。
宇都宮藩高根沢の桑久保村(現桑窪)・柏崎村・土室村(現飯室)周辺は、水不足で開田も難しかったため、宇都宮藩士山崎半蔵は藩命により、水量豊かな鬼怒川からの用水路を計画し、途中経路の喜連川藩の了解を取り、西暦1646年(正保3年)に、市の堀用水の開削工事に着手し、10年の歳月をかけて、西暦1656年(明暦2年)に、完成しました
あまり記録が残されていないため、どのような人物であったのか、よく解っていません。
資料によっては、宇都宮藩の家臣、土室村地頭とあります。
山崎半蔵は用水が完成した西暦1656年(明暦2年)に急死したようです。
この偉業を讃えて西暦1956年(昭和31年)、山崎半蔵の三百年祭が施行され、高根沢町亀梨の量山寺には「三百年供養碑」が建立されました。
市の堀用水により現在は、米作りに欠かせない水を水田に導水出来ています。
画像中央の小台高い丘が、山崎半蔵の墓所です。