栃木県栃木市の、
の紹介です。
出流山(いづるさん)満願寺
栃木県栃木市の北西部にあり、東北自動車道栃木インターチェンジから県道32号にて、鹿沼市下粕尾方面に向かい、栃木市鍋山町から県道202号にて、出流山方面を目指します。
石灰の鉱山があり運搬ダンプカーが頻繁に往来しているので、お気を付けて走行されてください。
県道202号は途中から、佐野氏方面に向かいますが、道なりに行けば出流山方面に行けます。
案内地図
由緒
弘法大師御作の千手観音菩薩をご本尊とする坂東三十三観音第十七番札所です。
今から千二百余年前に修験の行者、役の小角によって「観音の霊窟」(鍾乳洞)が見つけられ、西暦765年(天平神護1年)日光山繁栄の源を作られた勝道上人によって開山されました。
この「観音の霊窟」には鍾乳石によって自然にできた十一面観音像があります。
日光の修験者は年中行事の一つとして必ずここで入峰の修行を行なったそうです。
天平時代、下野の国司であった若田氏高の妻・明寿が子宝に恵まれなかったことをこの十一面観世音菩薩像に祈ったところ、男の子を授かったことから子授け・安産に御利益のあると言われています。
この男の子は後の勝道上人であり、この出流山を開山する人となりました。
菩薩像の横には上人の像も祀られています。
本堂(観音堂)は最初、足利義満が寄進された物だったそうですが焼失したために西暦1764年(明和1年)に再建されました。
江戸時代を代表する伽藍形式であり、日本三御堂の1つに数えられています。
楼門

出流山満願寺仁王門
栃木市文化財に指定されています。

出流山満願寺仁王門境内側から撮影
薬師堂

出流山満願寺薬師堂
西暦1715年に建立されました。
鐘楼

出流山満願寺鐘楼
西暦1871年(明治4年)に鐘楼と鐘を失って、約百年ぶりに、再建された鐘楼は初めて見るユニークな作りです。
本堂(大御堂)

出流山満願寺本堂
西暦1368年(応安1年)、足利義満公の寄進によって、観音堂として建立されましたが、西暦1740年(元文5年)12月20日の大火により、山門を残すのみで、堂塔はことごとく焼失してしまいました。
今の大御堂は中興第十七世道呆(どうごう)和尚が営々辛苦の末に西暦1764年(明和1年)8月に再建されました。

出流山満願寺本堂左側面
出流山満願寺データ
所在地 | 栃木県栃木市出流町288 |
電話 | 0282-31-1717 |
称号 | 出流山 満願寺 |
宗派 | 真言宗智山派 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |