勝山城跡「栃木県さくら市」

   

栃木県さくら市(旧氏家町)の勝山城跡の紹介です。

勝山城跡

さくら市は、栃木県の中東部にあり、都心から青森県まで貫く幹線国道4号が、通る街です。

勝山城跡は旧氏家町の、勝山地区旧国道4号沿いに立地します。

片側2車線の国道4号バイパスが、開通して以来勝山城跡付近の交通量は減少しました。

 

城跡は、公園化されていて、とても綺麗で歩き安いです。東側に、公園駐車場があり無料で利用出来ます。また駐車場と間に城の二郭部分にさくらミュージアムあります。

築城は、西暦1198年に宇都宮朝綱の三男公頼によると言われています。以後、氏家氏を名乗り3代後の、重定の時に、西暦1301年に越中に移封(いほう)、一旦廃城となりました。
氏家氏の後に、宇都宮氏の家臣芳賀駿河守高清が城を再興して居城しました。

勝山城は宇都宮氏の勢力圏の北限に位置し、北の那須氏に対する防衛拠点として室町時代には、激戦を展開した歴戦の城です。
西暦1549年喜連川に侵攻する宇都宮勢と、迎撃する那須氏勢との間で氏家と喜連川の境界にある早乙女坂の合戦が起こりました。
宇都宮氏は当主尚綱以下ほぼ全軍を勝山城に集結させ、早乙女坂の合戦で総大将尚綱が討死する大損害を受けました、また一方の那須勢も大きな損害を受けました。
この戦いでの尚綱戦死の混乱に乗じて、重臣の壬生氏が宇都宮城を乗っ取り、尚綱の嫡子伊勢寿丸(後の広綱)は、芳賀高定により高定の居城御前城(芳賀城)に落ちのびています。
西暦1559年には、結城晴朝が塩谷郡に侵攻し、この時、高根沢の阿久津城は落城し、勝山城下も焼き払われてしまいました。
西暦1585年に、箒川を挟んで宇都宮氏勢と那須氏勢が対陣し、那須氏勢の奇襲攻撃に敗退した宇都宮勢は勝山城で防衛したといわれています。
西暦1597世継ぎ問題で豊臣秀吉の怒りをかい、宇都宮氏の突然の改易に伴い廃城となってしまいました。

勝山城跡案内板

勝山城跡案内板

勝山城は、鬼怒川東岸の断崖状台地を利用して築かれ、東西320m、南北280mでした。

勝山城本郭と二郭の間の遺構

勝山城本郭と二郭の間の遺構

現在の遺構は、本郭(主郭)が完存しています、その周囲の二郭や三郭の一部が残っています。

勝山城本郭

勝山城本郭

本郭は70~80m四方の大きさで、周囲には高さ5m、幅2mの大規模な土塁と深さ7~8m、幅約15mの見事な堀が残っています。
本来の小口(虎口)は南西端の1箇所のみでしたが、現在、公園化で東側に橋が架けられています。

勝山城本郭南側の堀

勝山城本郭南側の堀

本郭(主郭)南側の堀です。

勝山城本郭西側と鬼怒川

勝山城本郭西側と鬼怒川

勝山城本郭西側には、鬼怒川が流れていて、天然の水堀で守られていました。

勝山城跡案内板2

勝山城跡案内板2

勝山城跡データ

所在地栃木県さくら市氏家1297
電話028-682-7123(さくら市ミュージアム)
駐車場あり
トイレあり

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