栃木県下野市の孝謙天皇神社の紹介です。
孝謙天皇神社
下野市のJR宇都宮線の石橋駅の西口から約2km西進して、国道4号並び、県道65号を超え下野市立石橋中学校手前の、交差点の角に鎮座します。
案内地図
由緒
今から約1200余年の昔の奈良時代、下野国薬師寺の別当に弓削道鏡が配流されました。
かつて道鏡は、法王として孝謙天皇(女帝)に最も厚い信任を得ていました。
女帝は配流され道鏡をあわれみ、この地にまいり役没した言い伝えられています。
女帝の崩御後、道鏡と共に女帝に仕えていた高級女官の篠姫・笹姫も配流されました。
二人は奈良の都には永久に帰ることが出来ないと悟り、女帝の御陵より分骨して、銅製の舎利塔に納め当地にあった西光寺に安置し、女帝の供養につとめました。
その後、西光寺は廃寺となり村人達は、舎利塔を御神体に祀り孝謙天皇神社と改め、8月4日(崩御の日)に女帝を偲び、清楚なお祭りを催し今日に至ります。
孝謙天皇神社石碑

下野市孝謙天皇神社石碑
孝謙天皇神社鳥居

下野市孝謙天皇神社鳥居
孝謙天皇神社拝殿

下野市孝謙天皇神社拝殿
孝謙天皇神社石塔

下野市孝謙天皇神社石塔
孝謙天皇神社データ
所在地 | 栃木県下野市上大領161-1 |
称号 | 孝謙天皇神社 |
駐車場 | なし |
あとがき
あくまでも、伝承だと思います。
孝謙天皇の遺骨が、本当にこの地に分骨されたのであれば、国の機関がもっと手厚く、すると思われます。そう思うことが変でしょうか、どうでしょう。