栃木県塩谷郡高根沢町桑窪の、桑窪城跡の紹介です。
桑窪城跡
御料牧場脇の県道64号を東進し、高根沢町の南方にある南高根沢簡易郵便局を北に約1kmの場所に立地します。(徳明寺の隣)
沿革
西暦1190年~1199年(建久1年~正治1年)桑窪修理助秀春が谷口筑前守の築城と言われています。
桑窪城は、稲毛田城(芳賀町)の支城と言われています。
その後、宇都宮氏が西暦1346年~1370年(正平1年~建徳1年)に稲毛田城を滅ぼしたそうです。
城主谷口氏(矢口)はこの地の土豪で室町時代末期には宇都宮氏に属し、桑窪城は那須氏に対抗する前線拠点であったようです。
桑窪城は、舌状丘陵浦山の南端に位置します。
主郭は、四方を土塁と堀に囲まれた四辺形で、北は堀切、東西は急斜面に画くされ、南は平坦面が隣接します。
主郭の北と南に小口(虎口)があります。北の小口は櫓台のような高台がり、対岸には狭い郭があります。
南小口の現状は、土橋があり、対岸には馬出とみられる盛り土があります。
東土塁は、張り出し屈曲する折と堀底の段差を伴います。
土塁の南東隣には、横矢掛の張り出しがあり、対辺を屈曲地合横矢風に作られています。
桑窪城あと案内柱
南小口(虎口)
西土塁
東土塁
横矢掛
主郭(本丸)
主郭部分は平らな部分が多くあり、兎角こうなります。