栃木県芳賀郡茂木町の小貫地区と茨城県の境の仏の山峠には、二つの伝説があります。
今日はそれを紹介するべく、日中の暑さを避けて、早朝から何時ものように、スクーダーdioで出発しました。
仏の山峠伝説一 朝日堂・夕日堂
益子町七井地区の国道123号と県道1号の交差点を県道1号を利用して、東に進めます、十数kmで県境の小貫地区に到着します。
仏の山峠に1軒の茶店があり、お仙という娘がいた。お仙は峠に出る追剥が父親であることに気づき、止めさせようと、旅人を装って峠に向かい、父親の手にかかって死んでしまった。
父親は、犯した罪を悔い、娘の冥福を祈るため、朝日堂と夕日堂を建立した。
と言う伝説ですが、磯四郎左衞門の菩提を弔うために、建立されたと記されています。

仏の山峠朝日堂夕日堂案内板

仏の山峠朝日堂
愛娘のために朝は、朝日堂から祈りをしたその朝日堂です、藁葺きの屋根が綺麗に保存されています。

仏の山峠夕日堂
夕方に祈る、夕日堂は、現在県道沿いにあります。
吹田パーキング
県道1号のこの先すぐの所に、吹田パーキングがありますから、路上駐車を避けて、こちらに駐車したほうがベストです、トイレも完備されています。
吹田パーキングに駐車して歩いて(100m程度)、県境の栃木県側にある仏の山地蔵尊に行きました。
仏の山峠伝説二 仏の山峠地蔵尊
像高2.3mで一枚板の花崗岩で加工したため柔らかさと優しさを漂わせて、仏の慈悲心を醸し出しているそうです、がよく見えません。

仏の山峠地蔵尊堂

仏の山峠地蔵尊
この石は、上小貫地区の仏頂山から産出した石を3kmも離れたこの地に運んだそうです。
当時は、当然トラックやクレーンなどはありません、人力で運びました。
あまりの重さに、背中を割り削りましたが、それでも動かず放置されました、しかし村に疫病が流行りました、そこで村人は、女性の髪の毛を集めて、毛綱を作り引くことにした。その時美人の村娘が音頭を取ったため若衆は奮起して、さすがの地蔵尊も動いたという。
二つの伝説は、仏の山峠と言う名の奇妙な名前から来ているようですが、仏の山は小貫地区と茨城県との境に仏頂山ありますから、それらのからの由来があるようです。