益子町の魅力発信中、益子町南部の山本地区の山本古城跡と光明寺薬師堂を紹介します。
山本古城跡
山本小学校の北にある光明寺の東側一帯の本郷堀の内地区全体が城でした。
巨木しだれ桜
光明寺は樹齢170年の見事なしだれ桜が有名でその桜の東側の切岸の上に土塁が現存城の一部だったんです。
正面の境内に高く立派なしだれ桜は、満開の頃は圧巻です。
追記、シダレ桜
2017年4月15日に撮影しました。花びらのピークは過ぎています。
光明寺の東側(画像の右て奥)に主郭が有ったそうです。
民有地に残る土塁
民家の敷地になっていますが、敷地裏に土塁が残っております。
今では、民有地となっているようですが、高塩家の末えい?
民家の南側から撮影しました、手前の池は掘り跡ではなく、灌漑用水池です。
民家の南側にも、土塁が確認できます。
資料
城は光明寺の東側一帯、東から西に張り出した丘の末端部にあり、東西250m、南北200m堀の内と呼ばれる鯉渕家の屋敷が本郭に相当し、45m×40mほどの広さがあった、南側の位置に城址碑があり、北側が高さ4mほどの切岸になっている、周囲に一部、土塁が残り、堀跡が水田や畑として残る。
屋敷のような曲輪が並び複数の郭があったようである、集落全体が段々状になっており、これらは切岸の名残である、輪郭式に近い多郭構造であったらしい、どちらかというと武家居館団地のような感じである。
城は高塩伊勢守政平が大永年間(1521-28)に築城し、天正11年、水谷勝隆に落とされ、廃城となったと言う。
光明寺薬師堂
高潮家と切っても切れない、本尊も合わせて見て頂きたいので紹介しいたします。
高塩家の本尊
山本古城跡の北側1km程度に位置します、案内板に記載されています通り、山本城主高潮家の本尊だったそうです。
整備済み道路
兎角こういう場所に通じる道は、狭小路が多いですが、こちらに来るまでの道路は整備されていて、乗用車同士が十分すれ違う広さが、ありますから安心していらしてください。
資料建立は江戸中期と推定される。欅材を用い、斗拱、蟇股、飛檐垂木など精細優美である。正面中央に天保6年(1835)の銘のある鰐口がある。本尊の薬師如来像は春日の作といわれ山本古屋城主高塩伊勢守の本尊であったと伝えられる。侍仏の十二神将は素朴な彫刻である。この薬師堂は目に関する信仰が高く、縁日には多くの人でにぎわった。
堅く重い総欅材使用
総欅の建物は、重圧感が有り長い年月を、風雨に耐えられた事を物語っているようです。
あとがき
光明寺周辺を、探索される方で、車でお越しの方は、光明寺に駐車場に駐車出来ます。
また、光明寺薬師堂は、数台の駐車スペースが有りまあす。
必見お勧め
必見だと思います、是非見て頂きたいと心から思います。
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