東御市の、道の駅雷電くるみの里で朝を迎えて、道の駅にて朝定食を頂きました。普段は買い置きの食パンを頂きますが、朝から営業しているレストランがあると便利です、利用させて頂きます。
そして、食事終了間際に、駅長さんが現れ、朝の挨拶並びに、綺麗に食べた食器を見て(敬意を表さられ?)、お菓子のお裾分けを頂きました。
出発準備をして、今日は最終日のつもりです。小諸市のあぐりの湯こもろにて、ゆっくり温泉に浸かり、佐久市まで行って、龍岡城跡(五稜郭)を見て帰路につこうと考えていました。
くるみの里らしく敷地内には、くるみの木が植栽されています。
小諸市のあぐりの湯こもろ
小諸市との境に位置する道の駅からは、十数分で着きます。最終日は、だいたい朝からこちらの温泉を利用してから帰路に付くようにしています。
しかし、当日は日曜日で生憎の天気です、この地方の方は、温泉が好きなのでしょう。朝から混雑していました。
あぐりの湯こもろで堪能したあと、佐久市の龍岡城跡(五稜郭)に向けて出発しました。
龍岡城跡(五稜郭)
佐久市田口にある龍岡城跡は五稜郭建築としては、国内に2箇所しかないそのうちの1つが龍岡城あとです。
五稜郭と言えば、函館の五稜郭ですが、実は1箇所だけではなかったんです。
案内地図
概要
龍岡城五稜郭は、西暦1867年(慶応3年)に龍岡藩主「松平乗謨」(まつだいらのりかた)によって建造されました。函館の五稜郭とともに日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭です。
江戸幕府は、当時に城を新たに造ることを禁止していましたが、幕府の重要な役についており、西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可を貰い、フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ボーバン城をモデルとしてこの龍岡城五稜郭を建築しました。
星形の城の起源は、16世紀頃のヨーロッパで戦乱の相次ぐ中で町全体を城壁で囲んだ「城郭都市」が数多く造られましたが、銃や大砲が発達してくるとこれに対抗して防御側の死角を少なくする構造が考案されたそうです。
この構造を取り入れた龍岡城は西暦1864年(元治1年)3月より、着工して藩主の政務と住居をかねた御殿や大手門、東通用門などが完成し、西暦1867年(慶応3年)4月に竣工祝いを行っていました。
堀は三稜堡をめぐるだけで、南西と西側二稜堡を囲む約270mは未完成でした。建物も瓦は全部準備されながら一割程の使用であったと伝えられています。
明治維新により江戸時代が終わると、龍岡城五稜郭の中の御台所に、近くのお寺(蕃松院)から子どもたちの学校「尚友学校」が移転し、現在も佐久市立田口小学校の校地として使われており、お城の中に学校が建設されているという全国でも珍しい小学校となっています。
五稜郭鳥瞰図
御台所
小学校校舎
城郭と堀
龍岡城五稜郭データ
所在地 | 長野県佐久市田口300 |
名称 | 龍岡城五稜郭 |
電話 | 0267-62-3285 佐久市観光課 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |