鈴木貫太郎記念館「千葉県野田市関宿町」

千葉県野田市関宿町の鈴木貫太郎記念館の紹介です。

鈴木貫太郎記念館

野田市関宿は、千葉県の北部にあり、利根川と江戸川に挟まれた、ほどかな田園地帯にあります。

施設の目的

財団法人鈴木貫太郎記念会により昭和38年開館した施設です。
現在は野田市教育委員会が管理運営しています。
終戦時の内閣総理大臣として活躍した鈴木貫太郎に関する資料が展示されています。
鈴木貫太郎記念館ホームページより

 

鈴木貫太郎年譜

1867年(慶応3年) 和泉市久世村(現堺市)に生まれる。

1869年(明治5年) 父共に東京に移る。

1877年(明治10年)  父の群馬県庁への就職に伴い前橋市に転居。

1878年(明治11年) 第一番小学校厩橋学校(現・前橋市立桃井小学校)卒。

1883年(明治16年) 旧制前橋中学(現・群馬県立前橋高等学校)卒。攻玉社で学ぶ。

1884年(明治17年) 海軍兵学校入校。

1887年(明治20年)7月25日 海軍兵学校卒(14期)。

1888年(明治21年) 任海軍少尉。日清戦争に従軍。大沼とよと結婚。

1892年(明治25年)12月21日 任海軍大尉。

1897年(明治30年)3月30日 海軍大学校砲術学生。4月29日 海軍大学校甲種学生。6月28日 – 任海軍少佐。

12月19日 – 海軍大学校甲種学生卒(1期)。

1901年(明治34年)7月29日 ドイツ駐在(〜1903年(明治36年)12月30日)。

1903年(明治36年)9月26日 任海軍中佐。

1904年(明治37年) 日露戦争に駆逐隊司令として従軍(〜1905年(明治38年))。

1907年(明治40年)9月28日 海軍大佐。

1910年(明治43年)7月25日 海軍水雷学校長。

1913年(大正2年)5月24日 海軍少将。8月10日 第二艦隊司令官。12月1日 海軍省人事局長。

1914年(大正3年)4月17日 海軍次官。

1917年(大正6年)6月1日 海軍中将。9月1日 練習艦隊司令官。

1918年(大正7年)12月1日 海軍兵学校長。

1920年(大正9年)12月1日 第二艦隊司令長官。

1921年(大正10年)12月1日 第三艦隊司令長官。

1922年(大正11年)7月27日 呉鎮守府司令長官。

1923年(大正12年)8月3日 海軍大将。

1924年(大正13年)1月27日 第一艦隊司令長官兼連合艦隊司令長官。

1925年(大正14年)4月15日 海軍軍令部長。

1929年(昭和4年)1月22日 予備役編入。侍従長に就任。2月14日  枢密顧問官を兼任。

1936年(昭和11年)2月26日 二・二六事件で襲撃され、重傷を負う。

1940年(昭和15年)6月24日 枢密院副議長就任。

1944年(昭和19年)枢密院議長に就任。

1945年(昭和20年)4月7日  内閣総理大臣就任。12月15日  枢密院議長就任。

1946年(昭和21年)6月3日 枢密院議長を辞職。

1948年(昭和23年)4月17日 満80歳で死去。

鈴木貫太郎伝より

大東亜戦争終結の総理大臣

総理大臣就任

西暦1945年4月、枢密院議長に就任していた鈴木貫太郎は、戦況悪化の責任をとり辞職した小磯國昭内閣総理大臣の後継を決める重臣会議に出席しまた。
会議のメンバーは元総理大臣の6名と内大臣の木戸幸一と鈴木貫太郎の8名でした。
その会議で総理大臣に推されても固辞しました。
ですが、既に重臣の間では現天皇(昭和天皇)の信任が厚い鈴木貫太郎の首相推薦について、根回しが行われていたそうです。
重臣会議では、鈴木貫太郎を後継総理大臣にすることが決定されました。

鈴木貫太郎は、総理大臣就任当時から、和平をするつもりだったと言われています。

終結へ尽力

7月27日にポツダム宣言発表がありました。8月6日の広島への原爆投下、9日のソ連参戦と長崎への原爆投下、15日の終戦に至るまでの間、鈴木貫太郎内閣総理大臣は77歳の老体ながら不眠不休で終戦工作に尽くしました。

現天皇(昭和天皇)は「軍や国民の混乱を最低限に抑える形で戦争を終らせたい」と仰せでした、鈴木貫太郎内閣総理大臣は「天皇の名の下に起った戦争を衆目が納得する形で終らせるには、現天皇本人の聖断を賜るより他は無い」と考えていました。

8月9日深夜から行われた天皇臨席での最高戦争指導会議(御前会議)では、ポツダム宣言受諾を巡り揉めていましたが、現天皇(昭和天皇)の涙ながらの訴えで即時受諾案が決まりました。

8月15日正午、現天皇(昭和天皇)の朗読による終戦の玉音放送がNHKから流されました。同日鈴木貫太郎は現天皇(昭和天皇)に辞表を提出し鈴木貫太郎内閣は総辞職しました。

鈴木貫太郎記念館入り口

鈴木貫太郎記念館入り口

鈴木貫太郎記念館入り口2

鈴木貫太郎記念館入り口2

館内には、愛用の品々や書簡、油絵などが展示されていました。

鈴木貫太郎記念館館内1

鈴木貫太郎記念館館内1

鈴木貫太郎記念館館内2

鈴木貫太郎記念館館内2

鈴木貫太郎記念館データ

所在地 千葉県野田市関宿町1273
電話 04-7196-0102
開館時間 9:00~17:00
休館日 毎週月曜日(祝日の場合は開館)年末年始
入館料 無料
駐車場 あり
トイレ あり

周辺施設

関宿城跡(せきやど)「千葉県野田市」

 

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