栃木県芳賀郡益子町大郷戸の、大郷戸廃寺跡五輪塔の紹介です。
大郷戸廃寺跡五輪塔
益子町の南部にあり、益子町立田野中学校と田野郵便局の通り県道257号を東方、荒町公民館の東約200メートルの角の南進約1.5キロメートルに立地します。
案内地図
概要
大郷戸五輪塔群は、行灯峰(背面の山)の中腹にあり、鎌倉時代から室町時代にかけて建立されたもので、当時この地方を支配していた、益子氏の墓と云われています。
当時五輪塔の直ぐ北の隣接地に、寺院(大郷戸廃寺)がありました。
その東には、茨城県大和村(現桜川市)から茨城県岩瀬町(現桜川市)の富谷観音を通り、尾根沿いに益子町大郷戸(現地)を抜けて、益子町の西明寺や地蔵院に行ける道がありました。
太平洋戦争後、食糧増産のため行灯峰(背面の山)中腹より、下が解放になり開墾され畑地と成りました。
その時多くの五輪塔が発見されましたが、畑の土留めに使われ、西暦1960年(昭和35年)の、大雨により土砂崩れをおこし、多数の五輪塔と火葬骨が入った瓶子が現れました。
そのうち、五輪塔1基と瓶子は供養のため、上山地区の普門寺に納められ、供養されました。
地元でも、五輪塔を5基を大郷戸廃寺跡の1角に建立、後に東の山すそに建立して供養しました。
しかし、いくつかの五輪塔が持ち去られ、残った五輪塔は再び、土留めに使用されたり、土中に埋められました。
その後、これらの畑は傾斜地のため、耕作放棄され荒れた畑となりました。
西暦1996年(平成8年)から2年かけ、町教育委員会が中心となり、発掘を行い以前供養したものや、散在したものを集め供養しました。
発掘調査の結果、5基の五輪塔の他に地輪20基、水輪3基、火輪21基、空風輪20基が確認できました。
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益子町大郷戸五輪塔群入り口石碑(石柱)
竹の子わらびの里の標記のある石柱の角を上ります。
上の画像の、背面に一般乗用車用の駐車場があります。
益子町大郷戸五輪塔群駐車スペースとトイレ
軽自動車一台がやっと通れるくらいの、路幅の道を上ると、駐車スペースとトイレがあります。
益子町大郷戸五輪塔群入り口歩道
益子町大郷戸五輪塔と各輪
69基ありました。
益子町大郷戸五輪塔データ
所在地 | 栃木県芳賀郡益子町大郷戸 |
名称 | 益子町大郷戸五輪塔群 |
駐車場 | あり |
トイレ | あり |